英語の授業の一環でアメリカ史を学んでいますが、その中に黒人霊歌が出てきました。これは補足の資料です。
歌にはその時の感情が含まれます。どのような時代背景で黒人霊歌が生まれたのかは、黒人の意義やアメリカの歴史を理解する必要があります。
またそこから新たに作られていった音楽の流れもあります。
大まかにまとめてみたので確認しておきましょう。
黒人とは?
日本では肌の色が黒に近い人を単純に「黒人」と呼ぶが、生物学的な面から、人種とは
現生人類を骨格・皮膚・毛髪などの遺伝的・形質的特徴によって区分した人の自然的な集団
のことで、その
区分としてネグロイド(黒人)、コーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄人)、オーストラロイドなどがあ
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用(2021年5月14日 (木) 14:19)
るとしている。
呼び方には歴史的背景で様々な変遷をたどっているが、そもそも黒人たちは自分たちをどう呼んでほしいかというと、1995年の合衆国労働省による調査を見てみよう。(アメリカ黒人の呼称について、藤本規夫『広島文教女子大学紀要 33』 1998年)より引用。
1968年の調査では「ネグロ(Negro):スペイン語・ポルトガル語で黒を表す」という呼び方を最も良いとしていたが、1990年にはいわゆる「黒人(Black)」を望むという人が圧倒的になり、1995年には「黒人」が大多数を占めているのは変わりないが「アフリカ系アメリカ人(African-American)」を望む人が増えている。
植民地時代には,祖国への郷愁からAfricanと呼んだが,現在 African-Americanと呼ぶのは,白人社会(WhiteAmerica)に完全には受け入れられない自分たちの誇りを取り戻すためであり,またハイフンなしのAmericanになり切れない苛立ちの表われでもある。
またこんな記述もあった。
黒人に対する最も差別的,侮蔑的な言葉はこの nigger(Negro)である 。
それなのに
黒人同士の間では親しみを込めてお互いを呼び合うのに使われているの
であったと。
私の見解としてはこの「親しみを込めて」というところがなんとも腑に落ちない。それ以外に呼び方がなかったのでやむを得ず使ったというのが正しいのではないだろうか。
調査が行われた1968年から1995年まで27年の歳月が流れている。今は2021年。さらに26年経った今、黒人たちはどう思っているのか、意識はどう変わったのか、あるいは変わらないのか。最新の調査があればまた稿を改めて触れたい。
黒人の歴史
15世紀初めにコロンブスがアメリカ大陸を「新大陸」として「発見」してから、アフリカ原住民たちはヨーロッパ人に労働力(奴隷)として買い取られ、インドやアメリカに送り込まれた。その数は900万~1200万人ほど。生産した茶や香辛料、綿花などはヨーロッパに運ばれ、利益のほとんどはヨーロッパの商人が得た。これが三角貿易であり奴隷貿易を成り立たせた仕組みだ。
そうこうするうちにアメリカ国内では対立が起こるようになった。簡単な構図は下の通り。
南部:綿花のプランテーションを維持するのに奴隷が必要→奴隷を認める奴隷州が多い。綿花の輸出拡大に自由貿易を主張。州の自治権の拡張を要求。
北部:過酷な労働から逃れてきた奴隷を保護してきた→奴隷を認めない自由州が多い。むしろ工業が発展していたため奴隷を労働力として雇い、同時に消費者として必要であったため、奴隷を解放したい(奴隷の立場ではものを好きに買えない)。自分たちで築いてきた技術で作ったものがイギリスの課税に邪魔されて対等な貿易ができない→自国の製品を守る保護貿易を主張。さらにはイギリスからの独立を求める人が多い→1776年の独立戦争以前から置かれていた連邦議会も北部にあり、アメリカ国全体の統一を目指していた。
結果、1861年に南北戦争が始まり、1863年の奴隷解放後、黒人は雇用主から解放はされたものの、自力で生きなければならないが仕事もないという状態で、白人に再雇用されて虐げられる立場は変わらなかった。差別を容認する州法も定められ、仕事だけでなく学校や交通機関、レストランなどでも差別を受け続けた。奴隷時代を知らない世代までも、人種だけで差別する側とされる側に分かれてしまう暗い時代が長く続いた。
2度の世界大戦を経た1950年代、公民権運動が高まり、指導者となったのがマーチン・ルーサー・キング牧師。1961年にはケネディ大統領、63年にジョンソン大統領が公民権を認め、差別撤廃政策が実施された。
公的な差別はなくなったが、黒人の白人に対する反感や複雑な感情は今もなお根強く残っており、黒人が白人警官に殺されるというニュースは毎年のように聞く。
黒人霊歌とは?
ようやく本題に入りますが、ここまででその作り手で歌い手である黒人が、どのような経緯でアメリカにいることになったのか、少しはわかってきたと思います。となるとその想いや傷みも想像しやすくなったのではないでしょうか。
奴隷たちが唯一集まることが許されたのはお祈りの時間。キリスト教の信仰を強いられながら、自分たちのアフリカ宗教やアフリカ文化を加えて音楽を作っていきました。
働いている最中に歌われることもあったため、労働歌とも呼ばれます。
特徴としては自発的な手拍子や足踏み。即興性があり、アカペラ(無伴奏)で歌う、など。
歌詞にはアメリカ北部やカナダへの逃亡計画を含む暗号・隠語を含め、自由や希望を願い歌いました。
黒人霊歌から派生した音楽
アメリカで黒人霊歌が生み出されて以来、音楽はずっと発展してきました。
黒人霊歌がゴスペル、ブルース、ファンク、ラグタイム、さらにはジャズなどの祖と言われる所以です。
以下、特徴を簡単にまとめてみました。
- ゴスペル
黒人霊歌に西洋の讃美歌を融合させたもので、歌詞では神への愛や信仰の喜びを黒人教会で歌いました。
ピアノやオルガンの伴奏で集団で歌います。
この映画はカトリック教会を舞台としており、その音楽は聖母マリアについて歌うため、多くのアフリカ系アメリカ人クリスチャンの観点からすれば、マリア崇敬の無いプロテスタントの文化であるゴスペル音楽とは異なっている。しかしながら、結果的にこの映画の続編『天使にラブ・ソングを2』の中のゴスペルナンバー、「オー・ハッピー・デイ」が日本でのゴスペルブームの火付け役となった。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用(2021年5月14日 (木) 10:40)
- ブルース
黒人として抱えた心にある悲しみや苦悩(ブルー)をソロで歌い、ギターやピアノで弾き語りします。
基本的には4小節で、メジャー・スケール(ドレミファソラシド)にミ♭、ソ♭、シ♭(ブルーノート)を加えて歌いました。
暗いイメージがありますが、曲調はそんなものばかりでもありません。日本のブルースはただなんとなく物悲しい雰囲気の歌に「〇〇ブルース」とつけているようです。
この思いを込めて歌う気持ちが強くなり、炸裂してくるとソウルへ、よりリズミカルなものはR&B(rhythm and blues)へ、そして南部の地域ではアフリカへの帰還を目指すレゲエへと派生しました。
- ファンク
1拍目を強調した16ビートのリズムとフレーズの反復で、ギターにはカッティングという奏法が多用されます。
この先駆者James Brown のダンスが素晴らしい。
現在人気のクロスオーバー歌手、Bruno Marsもおススメです。
- ラグタイム
左手でのリズム、右手で少しずれたリズムを持つメロディー、リズムの強調(シンコペーション)があります。南部で起きた黒人音楽と白人のクラシック音楽との融合。ジャズの祖。
ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)
上記より少し前の20世紀初頭、南部ではジャズとクラシックを融合させた(シンフォニック・ジャズ)音楽家、ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)が活躍しました。
『ラプソディ・イン・ブルー』『パリのアメリカ人』『バット・ノット・フォー・ミー』『アイ・ガット・リズム』などで有名です。
兄と一緒に『ポーギーとベス』というオペラを作り、1935年にオール黒人で初上演しています。
その一曲に『Summertime』があります。ブルース調の子守歌です。
脳腫瘍のため、38歳という若さで亡くなりましたが、彼の曲は今も多くの人に演奏されています。
音楽はジャンルに問わず、良いものですね。
いつの時代も、どこにいても、音を楽しむ心を持っていたいと思います。