英語の背景にあるアメリカ史と音楽の系譜|「黒人霊歌(Spirituals)」からゴスペル・ブルース・ジャズが生まれるまで

英語の授業の一環でアメリカ史を学んでいますが、その中に「黒人霊歌(Spirituals)」が出てきました。この記事はその理解を深めるための補足資料です。

歌には、その時代を生きた人々の感情が含まれます。どのような時代背景で黒人霊歌が生まれたのかを知るには、当時の人々が置かれた立場やアメリカの歴史を理解する必要があります。また、そこから新たに作られていった現代音楽への大きな流れもあります。大まかにまとめましたので確認しておきましょう。

01. 「黒人」という呼称の変遷とアイデンティティ

日本では肌の色が黒に近い人を単純に「黒人」と呼びますが、生物学・人類学的な面から見ると「人種」とは以下のように定義されています。

現生人類を骨格・皮膚・毛髪などの遺伝的・形質的特徴によって区分した人の自然的な集団。(中略)区分としてネグロイド(黒人)、コーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄人)、オーストラロイドなどがある。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

アメリカにおける呼び方は歴史的背景のなかで様々な変遷をたどっていますが、そもそも当事者たちは自分たちをどう呼んでほしいと考えてきたのでしょうか。1995年の合衆国労働省による調査を見てみましょう(藤本規夫「アメリカ黒人の呼称について」『広島文教女子大学紀要 33』1998年より引用)。

合衆国労働省の調査結果(1995)
合衆国労働省の調査結果(1995)

1968年の調査では「ネグロ(Negro:スペイン語・ポルトガル語で黒を表す)」という呼び方を最も良いとしていましたが、1990年にはいわゆる「黒人(Black)」を望むという人が圧倒的になり、1995年には「黒人(Black)」が大多数を占めているのは変わりないものの、「アフリカ系アメリカ人(African-American)」を望む人が増えています。

植民地時代には,祖国への郷愁からAfricanと呼んだが,現在 African-Americanと呼ぶのは,白人社会(White America)に完全には受け入れられない自分たちの誇りを取り戻すためであり,またハイフンなしのAmericanになり切れない苛立ちの表われでもある。

藤本規夫「アメリカ黒人の呼称について」『広島文教女子大学紀要 33』(1998年)より引用

また、同論文には「黒人に対する最も差別的,侮蔑的な言葉はこの nigger(Negro)である」とした上で、「黒人同士の間では親しみを込めてお互いを呼び合うのに使われている」との記述もありました。
ただ、私の見解としてはこの「親しみを込めて」というところがなんとも腑に落ちません。歴史的に見れば、それ以外に呼び方がない状況のなかで、やむを得ず自分たちの間の言葉として使っていったというのが正しいのではないでしょうか。

調査が行われた1968年から1995年まで27年の歳月が流れ、そこからさらに四半世紀以上が経った現在、人々の意識はどう変わったのか、あるいは変わらないのか。最新の調査があればまた稿を改めて触れたいと思います。

02. 三角貿易から南北戦争、そして公民権運動へ

15世紀末にコロンブスがアメリカ大陸を「新大陸」として「発見」して以降、多くのアフリカ原住民たちはヨーロッパ人に労働力(奴隷)として買い取られ、インドやアメリカ大陸に送り込まれました。その数は900万~1,200万人ほどに上ります。彼らが生産した茶や香辛料、綿花などはヨーロッパに運ばれ、利益のほとんどはヨーロッパの商人が得ました。これが「三角貿易」であり、奴隷貿易を成り立たせた経済の仕組みです。

そうこうするうちに、アメリカ国内では「南部」と「北部」の間で激しい対立が起こるようになりました。簡単な構図は以下の通りです。

SOUTH // アメリカ南部(農業・プランテーション構造)
綿花のプランテーション(大農園)を維持するのに奴隷労働力が必要であったため、奴隷を認める「奴隷州」が多い。綿花の輸出拡大のために「自由貿易」を主張し、各州の自治権の拡張を要求した。
NORTH // アメリカ北部(工業・連邦統一構造)
過酷な労働から逃れてきた奴隷を保護してきた経緯があり、奴隷を認めない「自由州」が多い。工業が発展していたため、彼らを労働力として雇い、同時に製品を買う「消費者」として必要としたため奴隷解放を支持(奴隷の立場では物を自由に買えないため)。また、自国の工業製品をイギリスの課税や輸入品から守る「保護貿易」を主張し、連邦議会を中心にアメリカ全体の統一を目指した。

結果として1861年に南北戦争が始まり、1863年の奴隷解放宣言後、黒人は制度上の雇用主からは解放されたものの、「自力で生きなければならないが仕事も土地もない」という状態で、白人に再雇用されて虐げられる立場は変わりませんでした。差別を容認する州法も定められ、仕事だけでなく学校や交通機関、レストランなどでも差別を受け続け、奴隷時代を知らない世代までもが人種だけで「差別する側」と「される側」に分かれてしまう暗い時代が長く続きました。

2度の世界大戦を経た1950年代、ついに公民権運動が高まり、その指導者となったのがマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師です。ケネディ大統領、続くジョンソン大統領のもとで公民権が認められ、法的な差別撤廃政策が実施されました。しかし、公的な差別はなくなったものの、歴史のなかで生まれた複雑な感情や社会問題は今もなお根強く残っています。

03. 黒人霊歌(Spirituals)とは?

ようやく本題に入りますが、ここまででその作り手であり歌い手である人々が、どのような経緯でアメリカで暮らすことになったのかが掴めてきたと思います。そうすると、歌に込められた想いや痛みも想像しやすくなったのではないでしょうか。

ORIGIN // 祈りの時間と労働歌(ワーク・ソング)
奴隷たちが唯一集まることを許されたのが「お祈りの時間」でした。キリスト教の信仰を強いられながら、自分たちのルーツであるアフリカの宗教観や音楽文化を加えて独自の音楽を作っていったのが黒人霊歌です。働いている最中に歌われることもあったため「労働歌」とも呼ばれます。
STYLE & CODE // アカペラの即興性と、歌詞に隠された「逃亡の暗号」
特徴は、自発的な手拍子や足踏み、即興性のある掛け合い、そしてアカペラ(無伴奏)で歌うこと。さらに歌詞には、アメリカ北部やカナダへの逃亡計画を示す「暗号・隠語」が織り込まれ、自由や希望を願って歌われました。

▲ 代表的な黒人霊歌『Wade in the Water(水の中を歩け)』:追跡犬をまくために川の中を通って北部へ逃げよ、という暗号が込められている

04. 黒人霊歌から派生した音楽の系譜

アメリカで黒人霊歌が生み出されて以来、その音楽は時代とともに大きく発展してきました。黒人霊歌がゴスペル、ブルース、ファンク、ラグタイム、さらにはジャズなどの「祖」と言われる所以です。それぞれの特徴を簡単にまとめてみました。

① ゴスペル(Gospel)

黒人霊歌に西洋の讃美歌を融合させたもので、神への愛や信仰の喜びを黒人教会で歌いました。ピアノやオルガンの伴奏に乗せて集団で力強く歌います。

この映画はカトリック教会を舞台としており、その音楽は聖母マリアについて歌うため、多くのアフリカ系アメリカ人クリスチャンの観点からすれば、マリア崇敬の無いプロテスタントの文化であるゴスペル音楽とは異なっている。しかしながら、結果的にこの映画の続編『天使にラブ・ソングを2』の中のゴスペルナンバー、「オー・ハッピー・デイ」が日本でのゴスペルブームの火付け役となった。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

② ブルース(Blues)

厳しい社会のなかで抱えた心にある悲しみや苦悩(ブルー)をソロで歌い、ギターやピアノで弾き語りします。基本的には4小節単位の反復で、メジャー・スケール(ドレミファソラシド)に「ミ♭、ソ♭、シ♭(ブルーノート)」を加えて歌いました。

暗いイメージがありますが、曲調はそうしたものばかりでもありません(日本の歌謡曲における「〇〇ブルース」は、ただ物悲しい雰囲気の歌に名付けられていることが多いようです)。
この思いを込めて歌う気持ちがさらに強く炸裂してくると「ソウル(Soul)」へ、よりリズミカルなものは「R&B(rhythm and blues)」へ、そしてカリブ海地域などではアフリカへの帰還を目指す思想とも結びついて「レゲエ(Reggae)」などへと派生しました。

③ ファンク(Funk)

1拍目を強調した16ビートのリズムとフレーズの反復が特徴で、ギターには「カッティング」という歯切れの良い奏法が多用されます。この先駆者であるジェームス・ブラウン(James Brown)のダンスとリズム感は本当に素晴らしいものがあります。また、この流れを汲む現代のクロスオーバー歌手、ブルーノ・マーズ(Bruno Mars)もおすすめです。

▲ James Brown – I Got The Feelin’

▲ Mark Ronson – Uptown Funk ft. Bruno Mars

④ ラグタイム(Ragtime)

左手での正確なリズムと、右手で少しずれたリズムを持つメロディー、すなわち「シンコペーション(切分法)」によるリズムの強調が特徴です。南部で起きた黒人音楽と白人のクラシック音楽(ピアノ音楽)との融合であり、ジャズの直接の祖先となりました。

05. ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)による融合

20世紀初頭には、ジャズやブルースの要素とヨーロッパのクラシック音楽を融合させた(シンフォニック・ジャズ)音楽家、ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)が活躍しました。『ラプソディ・イン・ブルー』『パリのアメリカ人』『バット・ノット・フォー・ミー』『アイ・ガット・リズム』などで有名です。

彼は兄アイラと一緒に『ポーギーとベス(Porgy and Bess)』というオペラを作り、1935年にオール黒人キャストで初上演しています。その中の一曲に、ブルース調の子守歌として有名な『Summertime』があります。

ガーシュウィンは脳腫瘍のため38歳という若さで亡くなりましたが、彼の曲は今も世界中の多くの人々に愛され、演奏され続けています。

▲ The best of George Gershwin(Rhapsody in Blue, I Got Rhythm ほか)

音楽はジャンルを問わず、本当に良いものですね。言葉の背景にある歴史を知りながら、いつの時代も、どこにいても、音を楽しむ心を持っていたいと思います。

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