新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

ずっと気になっていた本が読めました。

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社 2018年)です。

感想から言うと、現実的に考えると恐ろしく、警鐘を鳴らす意味では十分インパクトのあるものでした。

大学入試改革だけでなく、小中学校の国語教育を見直してもらいたいと改めて感じさせられました。と同時に、今後の日本を生きていく若者たちと、彼らを育てている親世代に、ぜひ読んでもらいたいと強く思いました。

内容は、同じく新井紀子『コンピュータが仕事を奪う』(日本経済新聞出版社 2010年)の延長で、その後出てきたAIを紹介しながら、どれだけ危機感が現実味を帯びてきたのかを説明しているようなものでした。

多くの方に内容を知ってもらいたいので、かいつまんで話をさせてもらいます。

“ロボットは東大に入れるか”

この『コンピュータが…』の本が売りに出された当時は、世間での反応はほとんどなく、本屋ではSFのコーナーに置かれていたことに愕然とした著者は、2011年に「ロボットは東大に入れるか」どうかを検証するプロジェクト(愛称「東ロボくん」)を立ち上げました。

目的は、ロボットを東大の入試で合格させることではなく、AIに仕事を奪われないようにするためには、人間は何をするべきか、どのような能力を身につける必要があるのかを解明することでした。

結果、2016年度の東大入試模試(記述式)の世界史と数学の問題では、受験生平均を大きく上回り、ロボットが東大に合格できる可能性があることを示しました。

このことから、AIがいかに能力が高いかがわかりますが、そのことで今後の社会の劇的な変化も危惧しています。

 

“全雇用者の半数が仕事を失う”

2013年にオックスフォード大学の研究チームは、10~20年の間になくなる仕事を予測しました。

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO89795300X20C15A7000000
日経WOMAN「10年後になくなる仕事、残る仕事 あなたの仕事は?」(2015/8/10更新)の記事より https://style.nikkei.com/article/DGXMZO89795300X20C15A7000000

これについて、著者は以下のように指摘しています。

WHOが今世紀初めてグローバルアラートを宣言したSARSの死亡率は10%です。また、20世紀初頭に世界的に大流行し多数の死者を出したとされるスペイン風邪の死亡率はたった2.5%です。苛酷を極めたと言われるシベリア拘留の死亡率は10%です。単純な比較は不適切かつ不謹慎であることを承知の上で書くことをお許しいただきたいのですが、50%のホワイトカラーが20年、いやもっと短い期間で減るというのは、途轍もないことです。私たちの日常で、大変なことが起ころうとしています。

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社 2018年)pp.77

SARSの死亡率が10%だったことは、新型肺炎コロナウィルスが発症している今、注目すべきことだとは思いますが、話題が違うのでこれは置いておくとして…

とにかく、この仕事がなくなる話というのは、日本だけでなく世界的な規模で起こると予測されているのが恐ろしいところです。

何より10年後は自分がまだ働き世代真っただ中なので、自分にとって十分現実的な話です。

またその頃に成人していく子どもを抱える親の立場としては、子どもたちをどういう職業に就かせるか、どんな分野に興味を持たせるべきか、どんな能力や技術を身につけさせたらよいか、大いに悩むところなので、今後この表は、重々気をつけて参考にするべきものだと思いました。

ただ、本書ではAIの可能性と脅威を示すと同時に、限界についても触れています。

 

“シンギュラリティは到来しない”

東大入試の話には続きがあり、実は英語と国語については偏差値が50前後で行き詰まっていて、常識の観念がないロボットにとって、言語の理解は茨の道であると結論付けています。

ロボットは、「先日、岡山と広島に行ってきた」と「先日、岡田と広島に行ってきた」の意味の違いが理解できないのです。

AIは岡山が地名であり、岡田が人名であるということを判断できない、人間なら大多数の人が常識的に判断できることなのに。

さらには暑い時は普通「寒い」とは言わない、という当たり前のことをAIは理解できません。前後の文の関係が理解できない=話の流れが見えない、というわけです。

そうなると、背景から気持ちを読んだり行間を読んだりすることなどは極めて難しいことなのかもしれません。

つまり、どれだけ膨大な予算をつけてAIの開発を進めても、所詮AIは「ただの計算機」にしか過ぎない、と。

よって、コンピュータが人間の能力を超えるとき(=シンギュラリティ)が到来するとは思えない。

AIはロマンではない

「科学を過信せず、科学の限界に謙虚であること」

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社 2018年)pp.155、158

 

そこで課題となるのが

ただの計算機に過ぎないAIに代替されない人間が、今の社会の何割を占めているか

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社 2018年)pp.165

ということですが、そこで教科書が読めない子どもたちについて書かれています。

 

“教科書が読めない子どもたち”

さて、常識をもとにした会話ができないAIですが、それでもAIは仕事を奪っていく。

ではAIが苦手な仕事に就けばいいじゃないか、と単純に考えますよね。

それができない子が多い、と著者は言うのです。

どれだけできないのかを知るため、著者は基礎的読解力を調査するためのリーディングスキルテスト(RST)を自己開発し、2万5千人の中高生を対象に調査しました。

「何が」「どうした」という主語・述語、修飾・被修飾の関係(係り受け)は、東ロボくんは80%の精度で解析できますが、これは日本の高校生と同レベルで、中学生は70%弱という結果が出ました。

ただ、これには裏があり、サイコロを振ったり当て推量で答えているような中学生が、その中の2~3割もいたというのです。

東ロボくんは統計や確率から答えを出すのですが、人間のほうがそうした論理的な答え方ができていない、ということになります。

さらに、係り受け以外の分野では、4~7割の中学生がサイコロ的に答えていた、とあり、もはや

中学生の半数は、中学校の教科書が読めていない状況

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社 2018年)pp.215

だと述べています。

 

“何が読解力を決定するのか”

では基礎読解力には何が関係しているか、それがわかれば対策も取れるではないか、と著者はアンケート調査を行います。

その結果、次のことが明らかになりました。

読書の好き嫌い、科目の得意不得意、1日のスマートフォンの利用時間や学習時間などの自己申告結果と基礎的読解力には相関はない

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社 2018年)pp.228

えぇっ?!そうなのっ?!

わけがわかりません。衝撃的でした。

でも、冷静に考えてみると、わかる気がします。

当塾で接してきた生徒たちでも、

学力の高い子でも本をほとんど読まなかったり、あるいは学力の低い子でも本が大好きだったりします。

数学が満点近く取れるほど得意なのに、国語が得意な子もいれば苦手な子もいます。

スマホで動画を見たりゲームをしたりすることにハマっている子でも、国語がよくできる子もいれば、不得意な子もいます。

では一体どうしたらよいのでしょうか。

 

著者はそれを示さないまま話を進めます。

私の未来予想図はこうです。企業は人手不足で頭を抱えているのに、社会には失業者が溢れている――。(中略)AIで仕事を失った人は、誰にでもできる低賃金の仕事に再就職するか、失業するかの二者択一に迫られる―—。(中略)その後にやって来るのは、「AI恐慌」とでも呼ぶべき、世界的な大恐慌でしょう。それは―(今までの恐慌とは)―比較にならない大恐慌になるのではないかと思います。そのストーリーだけは何とかして回避しなければなりません。それを回避するストーリーは、「奪われた職以上の職を、生み出す」以外にはないのです。

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社 2018年)pp.273-274

それでは、お先真っ暗なのか、というと、最後に、ヒントが書かれています。

重要なのは柔軟になることです。人間らしく、そして生き物らしく柔軟になる。そして、AIが得意な暗記や計算に逃げずに、意味を考えることです。生活の中で、不便に感じていることや困っていることを探すのです。(中略)できない理由を探す前に、どうやったらその「困ったこと」を解決できるかを考えてください。(中略)私たちが、人間にしかできないことを考え、実行に移していくことが、私たちが生き延びる唯一の道なのです。

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社 2018年)pp.279-281

そして本書には続編が出ています。

新井紀子『AIに負けない子どもを育てる』(東洋経済新報社 2019年)

どうすればよいのか、その具体策が書かれているのだろうと思います。

読んだらまたお話させてもらいますね。